2024年2月25日国立競技場で迎えた
東京ヴェルディ16年ぶりJ1の舞台でのシーズン開幕。
それも31年前と同じ国立開幕とマリノス戦。
リーグのバックアップも含め、メディアも大きくこの1戦を取り上げた。
久々のJ1はヴェルディにとって最高の盛り上がりでスタートができたと思う。
個人的には2018年シーズンからヴェルディ関わるようになって7シーズン目。
いつかこんな日が来たらいいなと思ってたけど、目の前で見る5万人を超える大歓声の試合は、いろんな思いが込み上げてきた。スポーツってやっぱり素晴らしい!
そして、話題となってるJリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏の涙のスピーチ。
この演出の裏舞台は直前まで実は色々とあって、現場も直前までバタバタと調整をしていた。
川淵さんの31年前のJリーグ開幕宣言で述べた伝説のスピーチ。
実はあのスピーチの本当の意味を知ってる人間は相当スポーツに精通した人だけだろう。
私も2018年、東京ヴェルディのリブランディングを率いることになって、初めて知ったのがこのスピーチの意味だった。
だから、あの演出には特別な思いがあった。
「サッカーを愛する皆さん」でなく、
「スポーツを愛する皆さん」で始まるスピーチ
日本のスポーツは昭和の時代、学校の「部活動」と企業の「実業団」で支えられてきた。
富国強兵から始まる体育教育と、高度経済成長期の企業にとっては社員の士気高揚、従順な体育会人材の確保、企業広告などの意味でも「実業団スポーツ」は有効な手段であった。
事実、プロ野球も初期は新聞社、電鉄などのレガシー企業がチームを抱え、親会社の広告費として損金参入できる税法も含め、欧米のような自立したチーム経営ではなく、企業の一部門という位置付けでしかなかった。
一方、スポーツ先進国である欧米では企業名が冠が前提のチーム経営は少ない。
地域を中心に、競技者、自治体、企業、ファン、が有機的に融合し、またプロやアマの垣根なく様々なスポーツを楽しむ「文化」がある。川淵さんは特に欧州の総合型スポーツクラブに感銘を受け、サッカーを中心に同じブランドで複数競技を運営し、老若男女がその地域でスポーツを楽しみ、地域がそれを支え、そしてチームそのものが地域のシンボルや住民の誇りに変わっていく。
スピーチで語った「大きな夢」はまさにそれで、Jリーグが目指す姿だったのだ。
それが「スポーツを愛する皆さん」だったわけだし、企業名でなく地域名が冠につくことが絶対だった。
しかし、当時50年以上前にプロ化した「野球」には日本流(というより讀賣流?)の成功体験があった。
その象徴でもある讀賣、実は日本サッカーでも最初のプロチーム(つまりヴェルディ)を創り、それは同じく巨人軍を設立した正力松太郎氏であったことは意外に知られてない。
(この歴史はこれ以上書くと長くなるので割愛するがw w)
企業を中心としたチーム経営で成功した「野球」と、地域をハブとしたチーム経営を目指す「サッカー」には確執が生まれることは容易に想像がつく。
川淵さんの掲げた「大きな夢」その理想と対局にあったのが、当時のヴェルディであった。
「讀賣ヴェルディ」「日産マリノス」なぜ我々はそう呼んでいたのか?
正式には「ヴェルディ川崎」と「横浜マリノス」、川淵チェアマンのJリーグと当時の讀賣は激しく対立し、結果、98年讀賣はヴェルディの経営から撤退。
川淵さんの理想、Jリーグの理念。
プロ野球の人気と成功体験を持った讀賣。
その間で天国と地獄を彷徨ったのがヴェルディ。
31年前、川淵さんの理想に最も遠い存在で、疎ましい存在だったヴェルディが、地獄の淵を彷徨いながら、皮肉にもこのタイミングで最も理想とする形で戻ってくるとは川淵さんも想像しなかったのではないだろうか?
「おかえりなさい!東京ヴェルディ!」
あの涙の裏にはそんな複雑な思いと、自らが掲げた理想は間違ってなかったという確信があったのではないかと、こちらも胸が熱くなった。
この日はサッカークラブでなく、総合型クラブとなった「東京ヴェルディ」の16競技の選手たちがフラッグを持って開幕戦セレモニーに登場